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(日本語が下手なので、間違えている言葉があっても、ご了承ください)

シェムリアップでの二日目は、スーモルサークルという遺跡見学ツアーの日だった。

台湾では、シェムリアップの市内から遺跡までの距離によって、スモールサークル、ビッグサークル、アウターサークルの三つのツアーに分かれている。

スモールサークルに含まれている遺跡は大抵市内から近かい。

交通時間が短かいが、九つの遺跡があるので、名前の通りに気楽じゃないと思った。

今日はアンコール・ワットから、アンコール・トムのうちのバイヨンやバプーオンや象のテラスなどの遺跡に寄って、そしてタ・ケウやタ・プロームへ見学に行くようになった。

たった一日だったのに、そんなに多くの遺跡を見るのはもちろん忙しかっただろう。

資料によって、アンコール・ワットは日の出を見る以外に、午後はアンコール・ワットの正面の写真を撮るのに適当な時間なので、二回は行くのは必要だった。

だから、私は見学の順番をちょっと変えた。

朝四時半ぐらい、まだ夜が明けない時、アンコール・ワットへ出発した。

時間が早いと思ったが、実は入り口の前に多くの人はもう集まっていた。

大抵五時くらい入場できて、懐中電灯で照明して、北側のリフレクティング池へ行ってきた。

その池は蓮が植えてあり、水に映ってるアンコール・ワットの影がよく見えるから、一番お勧めのところだった。

それもリフレクティング池と名づけたわけだ。

雨季にカンボジアへ行くのは不快なことがあれば、いいこともあった。

雨が降ったりしていたから、両側の池も水があって、両方でもリフレクションが見えたよ。

日の出を見ると言われるけど、日にちによって太陽が画面に出ない場合もあるそうだ。

アンコール・ワットは五つのタワーのような祠堂があるので、春分と秋分の日だけに太陽が真ん中の祠堂の上から出ると言われている。

しかし、私は天文学に興味がなかったし、休みを取れる日にちもギリギリだったから、一番いい日にカンボジアに行くのは無理だった。

池の端(はた)で日の出を待っているうちに、汗を大変かいていた。

太陽がまだ見えなかったのに、天気が暑すぎちゃった。

写真を撮ってみて、そして空がだんだん明るくなってきた時、一つの残念なことがわかった。部分の建物は工事中だった!

写真を見たら、構図のバランスは壊れていた。

でも、ここで集まった人は大勢だったから、他の位置に行きたくても無理になった。

六時ぐらい、太陽はアンコール・ワットの西の遠くから出ちゃった。

とにかく、雨がなかったけど、日の出も見えなかったし、構図も良くなかったし、残念だった。

雲の姿も普通だったので、思った通りの温かいオレンジ色も出なかった。

なので、最後はライトルームというソフトで写真の明るさをアンコール・ワットがよく見えるほどに調整した。

そして、色温度もちょっと変えて、やっと私が欲しい写真の画面を完成した。

後ろを向いて、絶景だと言えなかったが、閑散期(かんさんき)だったのに、大勢の人が池之端で並んでいたのがすごかったね。

ハイシーズンになったら、どんなに人でいっぱいになるのか想像つけなかった。

見学の順番が変わったから、朝アンコール・ワットでの撮影は七時半ぐらいまでで、それからアンコール・トムに進む予定だった。

だから、きつい時間でどうやって写真を撮ったり遺跡を見学したりすればいいのか。

時間に余裕がなかったり暑い天気の苦手だったりする人には、写真を効率的に撮りたいと、事前に資料を読むのは大切だ。

アンコール・ワットの見学は真面目にしたら六時間が要ると思った。

でも、資料を読んでおいて自分の好きな見学と撮影ポイントはもう知っている人には大抵二時間は十分だ。

個人的には、アンコール・ワットの日の出と午後のアンコール・ワットの全景は撮らなくてはいけない一番代表的な景色だった。

また、第一回廊の東南の彫刻「天堂と地獄」「乳海攪拌(かくはん)」と西北の彫刻「ラーマーヤナ」と西南の彫刻「マハーバーラタ」は印象強い部分だった。

まだ余裕があれば、多くの「アプサラス」と「デヴァター」女神の彫刻も見る価値があった。例えば、歯を見せた笑顔の女神とか、四名列に並んでる女神とか。

朝、回廊の東面は光が当たると思っているから、私は先に乳海攪拌という彫刻を見に行った。

戦争の画面より、神話などの説話に興味があった。

順光だと思っていたが、実際には部分の彫刻は日当たりが弱かったから、上と下の明るさは違った。

減光フィルターを使えっても写真を綺麗に撮られなかった。

とにかく、朝は西面の彫刻を撮影したほうが良くて、午後は東面が良いという結論がわかった。

そして、曇りの日はどれの写真を撮ってもいいが、アンコール・ワットの全景を撮るのに良くないという欠点がある。

歯を見せた笑顔の女神の彫刻も見つかった。

写真を撮らなくても構わなかったが、面白く思っただけで一枚撮った。

他の彫刻もその通りだった。人によって、写真を撮りたくない場合もある。

それぞれの好みが違うし、見方も違うから、同じのものでも素晴らしさが違うと思った。

なので、本や資料を読んでおくのは必要だ。

決まった時間の前に、入り口に戻った。

結構大きな駐車場にはトゥクトゥクがいっぱいになって、私にとって全部似ているから私のトゥクトゥクを探しにくかったよ。

探しやすいポイントで待ち合わせたほうがいいかもしれなかったが、朝四時は暗くて何も見えなかった。どうやってすればわかなかったね。

私の運転手さんは制服を着ていたが、あちこち探しても見えなかった。

幸いなことに、やっと見つかった。

次はアンコール・トムへ行ってきた。基本的には、朝は写真の撮りやすい時間なので、お勧めだった。

アンコール・トムにある遺跡は多いので、大抵三、四時間は要ると思った。

まず、アンコール・トムの南口で降りてちょっと写真を撮った。

南大門以外に、橋の端に列になっているナーガを引っ張るアスラと神々の石像がある。それは有名な「乳海撹拌」という説話のテーマのことだ。

修復されたことがありそうので、すべての遺跡の中で、それは完璧なものだ。

(ナーガはインド神話の蛇神で、アスラはインド神話の魔族あるいは悪神だ)

南大門を通して、トゥクトゥクでバイヨンの北口に行ってきた。それから、アンコール・トムが始まった。

天気は一年中暑いので、二回に分けて午前中に見学したほうがいいと思った。

実はアンコール・ワットの見学もたくさんの時間が要る。

真面目に写真を撮ったり、彫刻を見たりしたら、一日は足りるかどうか決まっていない。

遺跡は多くて見学は時間がよくかかったが、私は四時間のうちに出来る限り写真を撮るつもりだった。

もちろん、すべての遺跡を見学するのは無理だったから、自分が好きの遺跡だけを見に行った。

まず、一番有名のバイヨンから始まって、それから象のテラスやライ王のテラスだった。

他の遺跡は時間の余裕より写真を撮りに行かないかもしれなかった。

バイヨンは「クメールの微笑み」と呼ばれてる四面像のある寺院として世界中に知られている。

そのデカイ観世音の顔はカンボジアの代表的なイメージと言っても言い過ぎないと思った。

アンコール空港でも、偽物が見えた。

アンコール・ワットのように彫刻が見える回廊があるが、彫刻のテーマはアンコール・ワットのほうがもっとよかったし、バイヨンの彫刻の欠けたところもアンコール・ワットより多かった。

なので、私の狙ったものはもちろん最上層の四面像だった。

最上層は一年中観光客でいっぱいなので、早く行けば行くほどいいと思っていたから、北口に着いてすぐ最上層に向いた。

八時ぐらい、観光客はたくさんいたが、まだ混雑にならなかった。

四面像について、私はここに来る前に写真を数枚見た。

しかし、実際に写真を撮ったら、ちょっと思ったより撮りにくかったね。

写真の撮ることや使ってるレンズが変わって、構図は全然違った。

よかったら、本当にプロのカメラマンと一緒に行って、教えてもらいたかったん。

どうして?天気がめっちゃ暑かったから、写真を撮る時間は短ければ短いほどいいだろう。

自分であちこち写真を撮ってみるのは大変だったよ。

そして、観光客も増えてきたので、もっと撮りにくくなって、ほとんどいい位置を取られなかった。

撮影していたので、ほかの観光客より時間が大変かかった。

普段、最上層の彫刻を見たら、20~30分ぐらいは十分だと思った。

私は二時間かかっても足りない気がした。もっと写真を撮りたかった。

ちなみに、中央の祠堂には親子の猫が発見した。猫の写真を撮るのもよく時間がかかった(笑)

まだ見たい遺跡があったから、バイヨンの回廊の彫刻は見ないようになった。

回廊の彫刻とはアンコール・ワットで見ても十分だと思った。

北口に戻って北に向いたら、バプーオンに着いた。

バプーオン寺院はアンコール・トムより早くできて、約11世紀中頃建てられた。

20世紀には、寺院の大部は崩壊していて、いろいろなことで今までも元の姿に戻られない。

正面を向いたら、長い歩道は特色だった。ただし、アンコール・ワットより短いとわかった。

歩道の両側には番号が書いてある石がまだ見えた。

バイヨンやアンコール・ワットのような彫刻がないから、人によって見る価値がないかれしれない。

建物と言えなくて、ただ廃墟だけである雰囲気がした。

石柱とか石の窓とか残ってるものは人物写真を撮るのによかったが、私は自撮りに興味がなかった。

天気が暑かったから、バプーオンの最上層に登りたくなかった。

ただ正面の写真を撮って、象のテラスに行ってきた。

時間に余裕がある人には、象のテラスへ行く前にちょっとピミアナカスを訪れてもいいと思った。

それは3層ピラミッド構造の寺院で、最上層の塔には国王とナーガが姿が変えた女性と夜を過ごすという伝説が伝われている。

毎層の角には石の象があって、階段の両側には石の獅子があった。

そのようなピラミッド構造の寺院はまだ東メポンにはあるから、見なくても構わないと思った。

象のテラスに向かって、そのテラスは昔カンボジア国王が軍隊を眺めるところだった。

テラスの東面には等身大の象の彫刻が見えるだけじゃなくて、ガルダ(鳥の姿)やシンハ(獅子の姿)の彫刻もある。

中央の位置はちょうど東にある勝利の門に向いている。

今は盛大の軍隊が見えなかったが、道を走っているトゥクトゥクが多かった。

象のテラスの向かいには12つの塔みたいな建物があり、それはプラサット・スゥル・プラットだ。

これらの塔の目的は諸説がある。一つの説話は綱渡り(つなわたり)を王に見せるということだ。

数の12はいつも十二生肖を連想しやすいから、十二生肖塔と呼んでる台湾人もいる。

次はライ王のテラスだった。

たくさんの閻魔(死の神)の彫刻は特色で、火葬場のように利用されていたと考えられる。

上にはライ王という塑像(そぞう)が見えた。

ハンセン病にかかった伝説の王のイメージに当たるから、癩王(ライ王)と名づけられたわけだ。

ある人も閻魔の塑像と考えている。

ライ王のテラスの由来や目的は一体何だか、写真撮影には関係なかった。

たくさんの神の彫刻は確かにいい写真のテーマだった。

特に角で見える対称の構図は代表的だった。

午前中は順光で写真を撮るのにいい時間だと思っていたが、実は両側の日差しは違った。

簡単に言えば、私が撮った上の二枚の写真を見たら、分かりやすい。

角を中央の位置になったら、右側の日差しは左側より強かった。

一枚目はフィルターがついた撮った写真で、GND8という減光フィルターを使っても明るさの相違が大きかった。

二枚目は携帯のHDR機能で撮った写真で、一枚目の写真より相違はまだあったが、小さくなった。

別の撮り方は、対称の構図にならなくて、一部分の彫刻を対象にして、姿や表情に重点を置いて写真を撮った。

これらの彫刻を見たら、どうしてどの王国でもお寺とか宮殿などの建物を綺麗と派手に建てたのかと思っていた。

芸は凄かったが、人民が大変に使役された可能性があるかどうか今の私たちは知らない。

ライ王のテラスの近くには数軒の売店があった。

アンコール・ワットは多分同じだと思ったが、見巡る時間がなかった。

カンボジアの特産品と言えば、大抵油絵とか、服装とか、葉書とか、冷たい飲み物などだった。

私にとって、飲み物以外のものに興味がなかった。

ただし、1ドル要ったから、ホテルやツアー会社からもらった無料の水がよかった。

服とは、安かったが、質がよくないし、様式も地味だった。

葉書は10枚1ドルで安かったから、親友に送るのにもいいけど、切手は0.5ドルなのに1ドルで売られていたし、ホテルに頼めても送ってもらわない場合もあるそうし、郵便の能率も悪いそうから、二、三月後届けたり届けなかったりする可能性があると言われている。

その中で、油絵はいい選択肢だったけど、大きかったから、荷物に余裕がギリギリな人には多分買うことが出来ないと思った。

11時ぐらい、もうすぐ昼ごはんの時間だった。

もっと写真を撮りたかったが、他の見ていない遺跡はまだあったから、次の観光地に行ってきた。

午後、アンコール・ワットに戻りたかったから、私は昼ごはんと昼休みをせずに見学を続けた。

タ・ケウとタ・プロームの見学は大体1時間つづかかって、午後三時前にアンコール・ワットに戻ってきたら、時間は十分だと思った。

タ・ケウは、アンコール遺跡の中で、唯一の未完成の寺院として、ピラミッド型寺院の原型と伝われている。

門柱でも、壁でも、彫刻は全然なくて地味な建物だ。

建造が中止されたのに、そのおかげで、アンコールの建築工法が解明できた。

他の遺跡より異様な雰囲気がしているので、アンコール・ワットほど芸術価値がなくても、その素朴さはタ・ケウの特色になっている。

ちなみに、最上層への階段の段差はめっちゃ高い。誰でも怖く階段を登ったよ。

上から見たら、段差の高さがよくわかると思った。みんな全員子供のような両手で階段を登ったり下げたりしていた。

日差しで、石で作られた階段は熱かったよ。

どうしてこんな高い段差で階段を作ったのかと考えれば、ピラミッドみたいな山ほど高い建物は須弥山の意味を表すと言われている。

その上に、祈りに来る人に畏敬の念を抱きながら一階つづ登ることをさせるという考えも込める。

最上層には五つの祠堂があるが、彫刻や塑像がないから、風景を眺めたあとで、すぐ階段を下げて次の遺跡へ向かってきた。

ほかの観光客によって、タ・プローム、スーモルサークルの見学順番が変わらないと、最後の観光地だった。

その寺院はジャヤーヴァルマン7世が母親を記念するために建てた。

ガジュマルという木により侵食が激しいわけで、廃墟としか言えなかった。

でも、どうして遺跡の中で、多くの観光客が訪れる遺跡の一つになってるのか。

それは、世界中で有名の映画「トゥームレイダー」はタ・プロームで行われたわけだ。

そして、ガジュマルに食い込まれた廃墟の雰囲気も観光客に好まれている。

大変な侵食なので修復できないと言われたが、観光地としての価値がよくあるので、実はある国からのチームによって修復してるそうだ。

何もしないとタ・プロームが壊れる日は絶対に早く来る。

東口に入ってから、板で作れた歩道が見えた。

一年中観光客が大勢ので、見学ルートを沿わせないと、遺跡を守られないようだ。

また、崩壊したところが多いので、見学ルートも必要だ。

中央祠堂に興味がなかったから、私は一番外の壁に沿って反時計回りで見学していた。

木に食い込まれた壁は確かに異様な雰囲気がした。

欧米人の観光客は心が掴まれたように「素敵な~」と褒めていた。

地面に置かれている石は番号が書いてあった。

しかし、本当に修復できたら、この古さも無くして、観光客には困るだろう。

どうやってバランスが取れて修復すればいいのかチームにも困るね。

他の寺院より木が多いから、私は木の影でちょっと休んだ。

このルートに沿って、木に食い込まれた雰囲気がいい壁は多かった。

しかし、そう思ってる私はどうやって写真を綺麗に撮ったほうがいいか困っていたね。

ただ木とか石とかのものだけは足りないと思ったが、もしかして僧侶や少女が画面に入ったら綺麗に撮られるだろう。

ところで、この遺跡について私が見た他人の撮った写真の中で、一番見たいのは実は”あの有名の画面”だった。

ガイドブックでも地図でよく標示してあったよ。

それ言っても、実際は思ったより違って、通行できる道は決まっていた。

それで、1時間の見学時間のいちにあの有名の画面を探すのは大変だと思った。

見学ルートが分からなかったから、通行できないルートに入った場合もあった。

天気が暑かったし、見学ルートも迷路のように複雑だったし、結局はあの有名の画面を見ていなかったん。

最も外のルートに沿って、知らない道を通って、やっと西口の辺りに着いた。

それでは、ガイドブックで標示されてる一番有名の木を見たが、多分この木の後ろ姿だったよね。

正直に言ったら、この画面はやべいなと思ってガッカリした。

なにこれ?どうして木の前に立ち台があったんのか。ここは遺跡じゃないのか。

どの国からの天才チームがしたことがわからなかったが、 カメラマンまたはきれいな写真が撮りたい観光客にはこの立ち台は絶対に最低なものだった。

構図を変えてこのやべいなものを避けても、こんな撮り方で写真を撮るのは悲しかったね。

修復のためじゃなかったし、遺跡を守るためもなかったし、ただ最悪に観光化をした。それなら、修復せずそのまま壊れたほうがいいと思った。

写真撮影用の立ち台のため、この木の正面を見に行ってもきれいな写真を撮られないだろう。

その上、正面へのルートもわからなかったから、私はただ西側の辺りで休んだり写真を撮ったりしていた。

この辺には鳥の爪のような木や経蔵を掴んいる木があった。

そして、西口の門柱のあるところでステゴサウルスのような彫刻が見えたよ。

どの神話でもこんな動物や神様の乗り物に当たることがないが、面白いと思った。

ところで、旅館でこの遺跡に関する旅行記を探したら、2016年1月の「吳哥窟,塔普倫寺 (Ta Prohm) 千年的纏繞」という日記に確かな情報を載せていた。

あの幻の写真に見える有名の木の前も立ち台があったん。全然写真を撮る価値がなくなった。

広角レンズで変わった構図で写真をとっても、美しさも古さも幻の写真と比べられなかった。

言い換えれば、あの幻の景色はもうなくなった。

じゃ、ほかの観光客は何の写真を撮ったんか。

大抵、「私がここに来たんよ」って感じで木と一緒に写真を撮ったりしていた。

だから、立ち台があっても可笑しいと思わなかった。

タ・プローム寺院を出て、外には数軒のお土産屋さんと飲食店があった。

東側にもこんな小さいな市場があったかもしれないが、確認していなかった。

この辺には綺麗なトイレがあって、売店ではミネラルウオーターは0.5ドルでめっちゃ安かった。

アンコール・ワットへ早く行きたかったのに、私の運転手さんはどこかで待ってるのかあちこち探しても見つからなかった。

携帯で連絡しても、通信品質はよくなかったから、トイレの辺りで休みながら電話を掛け続けたりしていた。

ところで、カンボジアへ旅行に来て、ちょっと地元の人を観察したら、面白そうなことを発見できるよ。

まずは、カンボジア人は吊り床(ハンモック)が大好きだ。

木の下でも、吊り床セットにしても、トゥクトゥクでも、吊り床に寝ているカンボジア人は結構普通だった。

吊り床は特別なものじゃないが、全国的と普通に使われているのはカンボジアでしか見えないかもしれないと思った。

【アンコール・ワットで葉書を売ってる女の子】

 

また、観光地の辺りで葉書を売ってる人はいつも子供たちだった。

アンコール・ワットでもこんな子供たちがいたが、積極的に葉書を売ることをしていなかった。

でも、タ・プローム寺院では、5、6人の子供たちは私の周りで集まって積極的に葉書を売っていた。

他の観光客の言った通りに、英語の下手な子供たちはめっちゃ煩かったね。どんなに断れても諦めなかった。

危険じゃなかったが、めんどくさかったね。

もしかして、カンボジアでは貧乏な人は多いので、子供まで稼げなければならないかもしれない。

ところで、飲み物とか、お土産とか、油絵とか、同じものが売られている売店は観光地の近くで集まっていた。

でも、飲み物以外に、お土産の品質は低いと思った。また、どの観光地へ行っても売り物は同じっぽい気がした。

このような稼げ方は本当に稼げられるのか。観光客はどんなに多く来ても収入は増えっていないだろうね。

実は台湾の観光地でも同じ問題があるよ。品質が低くて、値段が高すぎのお土産さんは地元の人でも買いに行きたくないよ。

そして、同じの売店は同じの観光地で集まってるのも問題だ。意味じゃないだろう。

飲み物を売り出した売店があれば、飲み物を売り出していない売店もあるね。

観光客は本当に大勢なら、まだ大丈夫だが、観光客は少ない場合は絶対大変だろう。

私は毎日ホテルや旅行会社からミネラルウオーターをもらったから、実は外で水を買う必要はほとんどなかったよ。

とにかく、売り物の種類は少ないし、同じところでの同じ売店は多すぎだし、売り物の品質は低いのはカンボジア人の稼げたくても稼げられないわけだと思った。

私にとって、飲み物以外に、他のお土産は買いたくなかった。油絵は綺麗に見えたが、スーツケースに余裕がなかったから、買えなかった。

それを言ったら、トゥクトゥク運転手やガイドさんはいい仕事だったね。

葉書を売ってる子供たちの話題に戻して、実は「ワン・ドル」という話はみんな議論している。

もちろん、これは貧乏な国の悲しさだが、はがきを買うか買わないか一概に言えないと思う。

ある犯罪集団が子供に稼がせて貰ってると思う人はいれば、子供の両親が稼がせて貰ってると思う人もいる。

どの方も葉書を買わないように呼びかけている。

それなら、子供が操られることがなくなったり、子供が学校に戻ったりできると言っている。

しかし、犯罪集団の方なら、買っても買わなくても、操られている子供が決して減ってくるはずがないだよ。

ちょっとネットで調べたら、 葉書などのものを売る子は一番大変な事じゃなくて、児童買春こそ一番大変だと書かれている。

普通の貧乏な家庭と言ったら、自分の子供に稼がせてもらえっていなくても、子供を学校に行く事も無理だった。

とにかく、どんな事情でも、買っても買わなくても、何も変わらないと思う。

政府の政策や社会の活動がないと、国内経済問題を改善しないと、こんな問題は決してなくなることができない。

個人的には、葉書を買うことは何に役に立たないけれど、1ドルで葉書を買うのは大事な事じゃない。

それなら、葉書が欲しい人は葉書を買ってもいい。もちろん、買わなくてもいいだと。

ところで、近年カンボジアでは児童養護施設は増えてきてる傾向があるということだ。

 観光客はもっとお金や日用品を援助したら、孤児や養護施設が多くなることはおかしいじゃないの?

なぜなら、個人の利益のため、もっと孤児を集めたら、もっとお金や援助物資を得られるというわけだ。

本当に孤児の幸せのため一生懸命頑張ってる機構がいるとしても、どの機構は信頼できるのか確認できる前にやはりやらないほうがいい。

そして、自分の趣味や同情で短期ボランティアをするのもお勧めじゃない。

二、三日または一週間をかけて、本当に孤児たちの教育や未来に役に立てるのか。

生徒さんの立場から見たら、毎週違う先生や友達に会ったり分かれたりするのは本当にいいのか。

こんなことをやる人は観光客と言えるだけで、ボランティアじゃない。

本当に孤児たちのことを手伝ったら、一年以上ボランティアをしましょう。

それは置いといて、旅行の現場に戻して、タ・プローム寺院の外で運転手さんに連絡したりしていて、やっと電話が繋がった。

結局は約束の待ち合わせ場所を間違って、東口こそ正しかった。

だから、見学の前に待ち合わせ場所をはっきり確かめた方がいいと分かった。

カンボジアでは電話が繋がらないことは時々あるということだった。

三時頃、もう一度アンコール・ワットに来た。

天気がめっちゃ暑かったし、朝四時半から出かけたからはもう十時間以上だったから、本当に見学を諦めてホテルに帰りたいと思ったけれど、撮影のため、我慢し続けていた。

朝楽に歩いた道は、炎夏の午後に地獄のような長い道になった。

傘を差しても、”暑い、暑い”と言って汗をかきながら、第一回廊に向かってきた。

北側のリフレクティング池から見えるアンコール・ワットの景色は工事中の建物が含まれていたから、今回も南側の池で写真を撮った。

もし朝は南側で日の出の写真を撮ったら、写真がもっと綺麗に見えるだろうが、残念だったね。

第一回廊は午後は朝より観光客がいっぱいだったが、壁の彫刻は写真を撮らなくてもよかったから、見るだけでも良かった。

ゆっくり回廊を歩いていて、私は回廊を通っている僧侶を待っていた。

私にとって、その写真こそ私が撮りたい写真だった。

実はカンボジアへ来る前に、他人の写真を見たから、こんな写真を撮ろうと思っていた。

もちろん同じ写真を撮るのは不可能なので、私が撮った写真は別のものだったよ。

お年寄りの僧侶か若い者か全然分からなかったから、楽しみにしていた。

ある人は僧侶に写真を撮らせてもらったり、小金を払って欲しいポーズをさせて写真を撮ったりしていたが、私は意図的な写真が好きじゃなかった。

でも、僧侶を邪魔せずに写真を撮るのは難しかっただ。僧侶が回廊を通る時間はただ一瞬だったよ。

僧侶を見つけられない可能もあったし、他の観光客が回廊を通る可能もあったので、写真を撮られてよかったと思った。

そして、僧侶の存在感を目立つように表現したかったから、ソフトで僧侶以外の色は抜けてしまった。

 

自分の撮りたい写真を撮ってしまって、時間と体力が足りなかったので、たった第一回廊を見学し続けた。

彫刻に関する話は分かってる私はゆっくり興味のある部分を見たり写真を撮ったりしていた。

カンボジアの遺跡の中で、アンコール・ワットの壁の彫刻は他の寺院より文化の価値でも芸術の価値でももっと珍しいと言われて、そして欠落部分もややすくなかった。

見学順番は一定じゃなかったけれど、個人的には東南の乳海攪拌から見るのはお勧めだった。

乳海攪拌はヒンドゥー教神話の始まりで、それから左回して、「ヴィシュヌ神と阿修羅の戦い」、「クリシュナと阿修羅バーナの戦い」、「善神と阿修羅の戦い」などの戦争場面を見学したほうがいいと思った。

それらの話を理解するために、事前に本を読むのは必要だ。

その中で、ヴァーハナという神々の乗り物は特色のある姿で分かりやすい。

例えば、牛のナンディンになる神はシヴァ、ヴィシュヌのヴァーハナはガルダだ。

そして、頭は竜のように火を吐いてる馬(麒麟)という乗り物の彫刻もある。

ちなみに、中国や日本では、三大神のブラフマーは梵天(ぼんてん)の名前と呼ばれている。

創造神なので、インドやカンボジアより、タイなどの東南アジアの国では大人気の神様で、教徒が多いと言われている。

台湾の布袋戲(プータイシー)という人形劇には、梵天というキャラクターがいる。

しかし、ブラフマーのヴァーハナとしてのハンサは白いガチョウの姿をしているが、理由が分からずにガルダに乗る事になった。

カンボジアでも、ハンサの代わりに、マカラ(摩竭魚)に変わっている。

 実はマカラはヴァルナ神の乗り物で、門などの装飾に用いられている。

左回しし続けて、西北の彫刻「ラーマーヤナ」と西南の彫刻「マハーバーラタ」はインドの2大叙事詩(じょじし)だ。

ラーマーヤナの話を略に言えば、ラーマ王子と猿族のハヌマーンが魔王ラーヴァナと戦うということだった。

ラーマ王子はヴィシュヌの化身(けしん)と言われて、姿を自在に変えられ、空も飛ぶ事ができるハヌマーンは中国の西遊記に登場する孫悟空のモデルだと言われている。

ハヌマーンのイメージが強いから、個人的にはラーマーヤナの話にもっと興味があったよ。

マハーバーラタはパーンダヴァ国がカウラヴァ族と戦う説話と略に言える。

パーンダヴァのほうが5人の王子様は主役で、パーンドゥの王妃たちがそれおぞれの神々と生んだ子供だった。

5人の中で、アルジュナは雷神インドラの子供だったが、従兄弟と運転手であったクリシュナはヴィシュヌの化身だった。

この叙事詩はちょっと映画「パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々」のようだと思って、主役は普通の人間だけど神様の子供だ。

ちなみに、ヴィシュヌの化身のクリシュナは他の説話にも登場した。

一番分かりやすいのは山を持ち上げる姿のクリシュナだ。他の寺院でもよく見える。

第一回廊の南西に行ったら、この部分は歴史回廊と言われて、神話を元にせずスーリヤヴァルマン2世と彼の軍隊が彫られている。

戦争の時に使われていた兵器や、馬や象などの乗り物も見えた。

そして、最後は「天堂與地獄」。上段は天国へ昇った人、中段は閻魔大王のヤマが人を審判している、下段は地獄に落ちた三十二種のそれぞれの刑(けい)を受けている。

見るだけでも痛いな~と思うよ。

残念な事はこの部分の彫刻は欠落が多かった。

なお、中国では天国と地獄の説話もあるが、十殿閻王と十八層の地獄である。

第一回廊を見終わって、水と体力はほとんどなくなりそうだった。

第二回廊には多くの「アプサラス」と「デヴァター」女神の彫刻が見えるけれど、時間または体力がないと、見なくても構わないと思った。他の寺院でも見えるから。

やっと今日の見学が終わった。しかし、傘を差しながら出入り口に帰るのは地獄にもう一度落ちそうに大変だった。

トゥクトゥクに乗って、風に吹かれるのは気持ちよかった。車のエアコンより、自然の風はもっといいと思った。

市内に帰って、私は運転手さんにラッキー・モールに送るように頼んだ。

ホテルに帰ったら絶対に出かけたくなかったから、買い物をしたり晩御飯を食べたりしてから帰ったほうがよかった。

ちなみに、「柬埔寨暹粒老饕都愛吃之美食地圖指南」というブログでは、シェムリアップ市内のレストランを詳しく紹介してる。

どんなホテルに泊まっても、ラッキー・モールから近いのがうまく便利だし、一番お勧めだ。

ラッキー・モールにも、スーパーやレストランや他の店があった。

ラストランと言えば、ラッキーバーガー(ハンバーガー)の値段は約5ドルだった。

もっと安いものが欲しい人には、値段平均2.5ドルのリリ・レストランはお勧めで、ちょうどラッキー・モールのすぐそばにあった。

 

《本文に関する観光地一覧》

中文  English  日本語 
吳哥寺 Angkor Wat アンコール・ワット
大吳哥城 Angkor Thom アンコール・トム
巴戎寺, 巴揚寺 Bayon バイヨン
巴蓬廟, 巴芳寺 Baphuon バプーオン
鬥象台 Terrace Of The Elephants 象のテラス
癲王台 Terrace of the Leper King  ライ王のテラス(癩王のテラス) 
空中宮殿 Phimeanakas / Prasat Phimean Akas  ピミアナカス
十二塔, 審判塔, 十二生肖塔  Prasat Suor Prat プラサット・スゥル・プラット
塔高廟, 茶膠寺, 塔高寺 Ta Keo タ・ケウ
塔普倫寺 Ta Prohm タ・プローム

 

関連サイト:

アンコール遺跡 - Wikipedia

アンコール・ワット - Wikipedia

乳海攪拌 - Wikipedia

シヴァ - Wikipedia

ナンディン - Wikipedia

ヴィシュヌ - Wikipedia

ブラフマー - Wikipedia

ガルダ - Wikipedia

梵天 - Wikipedia

ハンサ - Wikipedia

ヴァーハナ - Wikipedia(神の乗り物と言う意味です)

ヴァルナ (神) - Wikipedia

マカラ (神話) - Wikipedia

ラーマーヤナ - Wikipedia

ハヌマーン - Wikipedia

西遊記 - Wikipedia

マハーバーラタ - Wikipedia

パーンダヴァ - Wikipedia

アルジュナ - Wikipedia

クリシュナ - Wikipedia

カウラヴァ - Wikipedia

カルナ

正義と法の神 ダルマ - Wikipedia

風神 ヴァーユ - Wikipedia

雷神 インドラ - Wikipedia

医術の神 アシュヴィン双神 - Wikipedia

太陽神 スーリヤ

アンコール・トム - Wikipedia

ナーガ - Wikipedia

アスラ - Wikipedia

バイヨン - Wikipedia

バプーオン - Wikipedia

ピミアナカス - Wikipedia

象のテラス - Wikipedia

シンハ - Wikipedia

ライ王のテラス - Wikipedia

閻魔 - Wikipedia

プラサット・スゥル・プラット - Wikipedia

タ・ケウ - Wikipedia

タ・プローム - Wikipedia

ガジュマル - Wikipedia

トゥームレイダー - Wikipedia

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    Fred

    旅行は私の人生なのだ

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