(間違えてる言葉があってもご了承下さい)
佐世保での珍しくていい天気が続いていて、今日長崎で夜景を撮るのは安心だった。
これは私の長崎での一番の目的だった。運が悪くならないように祈っていた。
長崎へ行く途中で、九州のディズニーランドのようなハウステンボスを見た。
ヨーロッパ風の建築は日本には少ないけれど、ヨーロッパへ行ったことがある私にはもう興味がないから、行かなかった。
二時間ぐらいかかって長崎に着いた。天気は思った通り暑かった。
旅館で荷物を預けた後、長崎の路面電車に乗って遊びに行った。
電車に乗る前に、一日券を買うのを忘れないで。
たった500円の電車一日券は観光案内所とかいくつかのホテルなどの所にしかに売っていないから。
電車の料金はどこまで乗っても一回120円なので、4回以上乗るなら、一日券が絶対にお勧めだ。
長崎と広島は第二次世界大戦の被爆都市だった。これ以後、人類は核兵器(かくへいき)の触れてはいけない恐ろしい力を知っている。
今大勢の観光客が長崎へ訪れて、そして長崎には以前の何か怖くて異様な雰囲気はもうなくなった。
でも、原爆での見えない痛みが本当に消えたのか誰も知らない。
被爆七十周年の今年はテレビで原爆に関するニュースを見た。
平和記念公園に着いた時、数名の僧侶(そうりょ)あるいは修行者(しゅぎょうしゃ)が経文(きょうもん)なんかを唱えながら(となえながら)下から階段を上がっていた。
平和の泉(いずみ)とか長崎の鐘などの平和を祈る記念物のあるこの公園では、今日は核兵器を消すための活動が行われていた。
長崎の鐘も鳴らさせた。
私は昔の写真を見て、原爆投下の日はもう歴史の一部になっても、被爆者の涙は心に残っているかもしれないと思った。
もしかして、それにこの時の残酷な記憶は皆のDNAの一部分に入っているかもしれない。
公園の中にはいくつかの外国からもらった石像が並んでいる。
そして、真ん中に置かれているヨーロッパらしい一番デカイ銅像は北村西望(きたむらせいぼう)さんが制作した平和祈念像。
高く挙げた右手は原爆の脅威(きょうい)を表しているが、水平に伸ばした左手は平和を祈る意味がある。
南側の祈りのゾーンは原爆が投下された中心地。
中心碑(ひ)のそばに移動してきた浦上天主堂の遺壁(いへき)がある。
広場の同心円(どうしんえん)は原爆の軌跡のような意味を表していると思った。
でも、実際の軌跡は数千、数万倍大きいかもしれないね。
近くの原爆資料館でいろんな遺品や写真や映像を見れる。
Wi-Fiのパスワードは原爆落下の日だった。
地獄の火で燃え残した物は、若者にとっては何も分からなくても、写真と映像を見ると、心から悲しさが出て泣きたがるだろうと思う。
死去した人々はどんな痛みを受けて、生き残った人々はどんな影響を受けたか平和時代の私たちは知らない。
でも、こんな残酷な歴史があっても、いまだに核兵器のある国はまだある。
今日(こんにち)の平和は核兵器の怖さで維持されている。これは本当の平和かな。
旅館へ帰って、ロビーでコンビニで買った昼ごはんを食べた後、続いて諏訪神社へ行った。
たくさんの日本の神社を見たことがあるから、今どんな神社を見てもつまらない気がした。
そうは言っても、高い位置にあるこの神社から見える長崎の景色は本当にいいと思った。
ちなみに、日本には25000社の諏訪神社がある。本社は長野県の諏訪湖の近くにある諏訪大社。
次は眼鏡橋。天気はとても暑かったから、いつも自販機で飲み物を買ったり飲んだりしていた。
眼鏡橋は古い石造りのアーチ橋。中国では、石拱橋(せっこうきょう)と呼ばれている。
たった22メートル長さの眼鏡橋は特別じゃないけれど、辺りに植えられている柳(やなぎ)と一緒に写るこの風景は中国の唐代の古さが見えた。
川の水は綺麗で、数匹の魚が泳いでいて、ここは高山朝市のそばの宮川に似ている。
さらに、蒼鷺(あおさぎ)も見たよ。このような都市でも、自然がよく維持されているこの場所は本当に珍しいと思った。
電車で大浦天主堂に着いた。この近くの地区は江戸時代からヨーロッパと貿易していたので、未だにいろんな洋式の建物がある。
天主堂以外に、近くのグラバー園の旧グラバー住宅が世界遺産に登録された。
港はここから近いから、デカイ中国からの豪華客船「クァンタム号」が見えた。大抵数千人の観光客を乗せれると思った。
ところで、中国人の爆買い(ばくがい)は現在世界中で有名になった。
新聞を調べたら、六月二十二日、約3400人の中国人の観光客が、豪華客船で鳥取県(とっとりけん)の境港(さかいみなと)に上陸した。(台風かな?)
蝗(いなご)(ワタリバッタ)のような爆買いはレジが壊れるほど怖かったよ。
日本のテレビ番組も日本に来た外国人の観光客について観光に関する調査をした。
九州に来た観光客は台湾人が一番多かったけれど、購買力は中国人のほうが一番だった。(台湾人は第三位)
でも、購買力は何も尊敬する価値がないが、もしかして日本の経済にいいかもしれないが、国民に迷惑をかけたら意味がないだろう。
マナーとか教養などのある観光客はどこへ行ってもいい評判をもらえると思う。
ただ大金を使う人が、世界を見たことがない気がするように、他の人に迷惑をかけるのは駄目だよ。
以前台湾人も日本の電子製品が好きだったから、日本でいろいろ買い物した。でも、台湾でサービスが受けられなかったから、電子製品が壊れた時、いつも困っていたね。
やはり台湾の電圧に合う電子製品を輸入するのがいいと思う。
ちなみに、日本の電子製品は特に料理に関するものが素晴らしくて買いたいものだよ。例えば、小さい串焼き器(くしやきき)、たこ焼き器。
日本の炊飯器(すいはんき)も大人気の物だ。今台湾で買うことが出来るので、実家では象印の炊飯器を使っている。
大浦天主堂から北に歩いて、次はオランダ坂。
江戸時代からの国際貿易の時期に、洋風建築があるこの坂を通っていた外国人が多かった。
そして、日本人はみんなヨーロッパからの外国人をオランダさんと呼んでいた。それはオランダ坂の由来だ。
今、活水(かっすい)女子大学の入口で「オランダ坂」と書かれた石碑が見れる。
大学は観光地じゃないけれど、そばの東山手十二番館(ひがしやまてじゅうにばんかん)は無料で入場できる。
東山手十二番館は東山手に現存している一番古い木造(もくぞう)の洋館で、歴史資料館として利用している。
新地中華街はここから遠くないから、東山手十二番館を見終わって旅館へ帰る前に中華街もちょっと見に行った。
台湾人の私にとって、中華料理は普通だと思う。
今日は天気がいいけれど、暑すぎるから大変だったね。
さらに、私はやはり自然の風景が好きだ。
残念な事はいまだに見た九州の景色はそんなに素敵じゃないことだった。
いろんな国へ行って、素晴らしい景色を見たから、確かに他の人にとっては面白い物が私にとっては普通になって、見ていない興味のある物も探し難くなった。
もちろん、旅行は景色を見るだけじゃないが、ゆっくりしている暇な日があってもいいだろうと思う。
日本の旅行はもう四回目だが、それでも美味しい食べ物はいつも楽しめている。
長崎のグルメと言えば、長崎ちゃんぽん、カステラ、角煮(かくに)まんじゅう、びわアイスクリームだが全部美味しかった。
特に、カステラは長崎の一番代表的なお菓子。
カステラが売られている店はたくさんある。長崎駅ビルには文明堂で、ホテルニュー長崎には福砂屋(ふくさや)で、そして大浦天主堂の近くには清風堂(せいふうどう)がある。
文明堂のお菓子は味がいいけれど、カステラはちょっと大きい。それより、清風堂のカステラは量が適当だし、五つの味もあるのでお勧めだ。
夜の長崎での一番大切なイベントは、香港とモロッコと並んで世界新三大夜景の稲佐山の夜景を見に行くこと。
稲佐山へ行く交通手段は普通は稲佐山ロープウェイで登る。
しかし、来年二月までの工事のため、今全面運休になっている。
その代わりに、長崎バスや長崎遊覧バスの直行(ちょっこう)バスで稲佐山展望台へ行く。
長崎遊覧バスの夜景ツアーは予約制で、展望台の停留時間は約40分。
夜景を撮る時間は長ければ長いほどいいけれど、40分だけでもいい。
八時頃に展望台に着いて、唯一のやりたい事はできる限りに夜景を撮ることだった。
ちなみに、真っ暗な夜になる前に、空は紺色になるから、この頃撮った写真はもっと綺麗に見えるよ。
長崎駅に帰ったあと、駅前の食堂「テムジン」で夜食を食べに行った。
元々一口餃子が食べたかったけれど、他のお客さんの料理からいい匂がしたので、野菜炒めと牛サガリを注文した。
この食堂は小さかったけれど、にぎやかだったよ。炒め物の料理はお勧めだ。
関連サイト:
グラバー園公式ウェブサイト、グラバー園 - Wikipedia
オランダ坂 - Wikipedia、オランダ坂|ながさき旅ネット
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