(間違えてる言葉があってもご了承下さい)
【最初の日】
東京は今年日本旅行の起点と終点だった。
冬の東京に来るのは今年は二回目だった。
未だによく日本へ旅行に行っても桜の花も紅葉もまだ見たことがない。
それでも、冬の寒さと白雪の美しさをよく楽しめた。
なぜ夏に東京を訪れることを考えないのか。北海道や中部や北陸や九州は全部夏に訪れただろう。
実際には、緑ばかりの炎夏より私は冬が好きだ。冬木がちょっと寂しい気がしたけど、冬の天気が大好きだ。
でも、冬休みは短くて、長い旅ができないので、それが冬に東京を訪れるわけだ。
さらに、長野でも伊豆でも冬限定のイベントが行われることも冬に東京に来るわけの一つ。
東京に着いた最初の日、天気がめちゃよかった。
台湾でいつも寒くないので、コートなどのものはだんすにしか置かないよう。
コートさんは人類の言葉で話せれば多分「最高だ!だんすを出た」と言うだろう。
日本へ行く前に、テレビでミシュランに掲載されている中華そば屋を紹介する番組を見たので、午後中華そば伊藤を食べに行った。
山手線で駒込(こまごめ)に行って、東京メトロ南北線に乗り換えたら、王子神谷に着いた。
その地区は全然観光地じゃなかったので、観光客は私しかいなさそうだった。
日本の携帯がなくて地図も持っていない私はたただネットで見た情報によって伊藤の店に向かっていた。
道は実際には簡単だったから、すぐにお店に着いた。
豊島(としま)中央通り商店街にある中華そば伊藤の店は一般の住宅のように普通に見えた。
旗幟がかからないと絶対に見つけられないと思った。
テレビ番組の紹介した通りに、中華そば伊藤のメニューはそばと肉そばの二種だけだった。
代表的なそばは麺とスープ以外に何もないように単純だった。
それでも、スープは人工調味料をかけずにたくさんの煮干(にぼし)や昆布(こんぶ)から作られたと言われている。
スープのこだわりを伝えるために、自家製の麺以外に何も入れない伊藤のそばが一番お勧め。(正確には刻みネギが少し入った。笑)
ミシュランに掲載されているけれど、値段は意外に安かった。
そばは550円だけで、大盛りのそばでも700円だけだったよ。
そばを食べてみたら、自家製麺はよかったし、濃厚な煮干の味がしたスープは何回も飲んでも飲みたいほどよかった。
食事のあと、上野へ帰ってきた。
今日は時間が足らなかったので、上野周辺の景色はつまらなかったけれど、上野公園と不忍池(しのばずのいけ)にゆっくり散歩に行った。
上野公園には上野大仏があるだけれど、今年初めて大仏を見た。
大仏と言っても、実は大仏の顔面部の浮き彫りだけで芸術品のように現存している。
元々高さ約6メートルの上野大仏は何度も罹災(りさい)で損壊したので、今の様子に変わったということだ。
大仏山という所に、パゴダ様式の祈願塔(きがんとう)もある。
大仏のそばに大仏に関する資料が見られて、二枚の古い写真を見たら、大仏の元の様子が見えた。
名前の知らない神社に寄って、道に沿って次は不忍池に来た。
去年のようにつまらない気がしている不忍池は、そばでの整備工事以外に、何か変わるものがなかった。
まだ時間があったので、近くの下町風俗資料館(したまちふうぞくしりょうかん)へ見に行った。
下町風俗資料館は昔の江戸下町という地区の文化や、建物や、日常用品まどを保存するために建てられたミニ博物館だ。
江戸時代で高台(こうだい)の地区は「山の手」と呼び、低地(ていち)にある町は「下町」と呼んだ。
浅草や神田や日本橋まどの所は下町の代表だった。
時代によって江戸(東京)も段々変わっていたので、昔の面影(おもかげ)がなくならないように声が上がったのは昭和のことだった。
資料館に入ったら、商店や、長屋にあるお菓子屋と銅壺(どうこ)屋や、銭湯(せんとう)や民家などの下町の建物が再現された。
資料館の二階で昔のおもちゃや日常用品が見られた。古い写真や資料もよく保存している。
昔の不忍池の模様も資料や写真によって伝われている。
例えば、1884年から1892年までの時期に、不忍池を周回する形で作られた競馬場(けいばじょう)では春と秋に競馬が行われていたということがある。
今頃の人は絶対にその時期の不忍池の模様を想像つけないだろう。
長屋という日本の代表的な建物は今までまだ見られるけれど、現代化になる日本では昔の建物が少なくなるのも事実だ。
台湾もそうだと思う。
子供の頃によく行った雑貨屋は日本のお菓子屋のような模様だったが、今ただ私の思い出だけに見える。
全然雑貨屋を見つけないことはないけれど、住民が少ない田舎にしか多分なくなったかもしれない。
また、祖父の家にある白黒テレビや古い電話機は、ちょうど資料館の民家で見た同じ物のようだと思った。
もし祖母がここに来たら、どんな感想を言うかな。
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